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発達障害の「生き方」研究所 | Hライフラボ

転職4回、うつで1年の休職歴あり。30歳を過ぎてADHD・アスペルガーまで発覚した人間が、妻と娘の育児のためにもがいた結果… 「生きづらさ」と戦いながらそこそこ稼ぐためのHライフラボ的・生き方3.0とは?

発達障害は「自立」で生きづらさを軽くする

発達障害における「自立」の必要性

 

「生きづらさ」を軽くするには

この記事では、どうやって発達障害の「生きづらさ」を軽くするための「自立」について詳しく説明します。

 

私たちは毎日、周囲の世界からいろいろな刺激を受けて生活しています。

ではなぜその毎日から「生きづらさ」を感じているのか?

 

この点については、「日経ウーマン」の以下の記事がよく説明してくれていると思います。

「生きづらさ」の正体とは?:日経ウーマンオンライン【「自尊心」養成講座】

 

この記事の説明にあるように、周囲の環境の影響を自分が強く受けてしまっている状態が、おもに「生きづらさ」の原因だと思っています。

 

ではどうやってそれを解消するか?

 

答えは、別の記事でも触れたように「自分の世界」と「周囲の世界」を切り離すことです。

そして切り離されている状態を、私は「自立」と呼んでいます。

 

「世間相場」から自由になるための「自立」

では、「自分の世界」と「周囲の世界」とは一体何を指すのでしょうか。

以前引用した梶田教授の「自己を生きるという意識」の説明を借りるとこのようになります。

 

周囲の世界・・・「世の中」「世間」のこと。老若男女・学校・会社・地位などをベースにした世界。

自分の世界・・・自分自身にしか分からない、その人特有の世界のこと。実感・納得・本音など。

 

内容はほぼ文字通りですが、以外とこの区別を意識してできていない人が現代では多いのではと思います。私も完全にそうでした。

 

周囲の世界と自分の世界が分かれない状態でいると、自分の価値や判断、認識が世間相場にだけ左右されることになります。

 

周囲の世界は自分の意思では自由にならないものですから、それと同化してしまっている心は風になびく草のように非常に不安定になってしまって当然というものです。

 

定年退職をした父親や、子どもが独立してしまった母親がうつ病になってしまう原因は、周囲の世界(ここでは「会社の仕事・肩書」や「子ども」)の価値にしか足場を築けずに生きてきてしまっていたからでしょう。

つまり、そのような人はたとえ年齢が60歳を過ぎていたとしても「自立」できていないのです。

 

また偏差値教育と学歴社会も大きな弊害のひとつです。

思春期において、自分についてしっかり考えなければならない重要な時期に、他者との比較の値でしかない「偏差値」ばかりを気にさせる。

これでは、いざ就職をする段階になって自分のことがわからないというのも当然です。

 

自立のあり方

梶田教授は理想的な内面の持ち方として、

<我の世界>を土台として、<我々の世界>を生きる

という表現をしています。

 

この表現の例えが面白いので、少し長いですが引用してみましょう。

幼稚園とか小学校の低学年の子どもが汚い箱とか汚い袋にキラキラした石とかボタンのかけらを後生大事に入れていることがある。それを親や教師が見付けたりすると、「そんながらくた捨ててしまいなさい。キラキラしているけど、たかが石英のかけらじゃない!」「拾ったボタンなんて捨ててしまいなさい、汚い!」と言いたくなる。そういう時に、<我々の世界>で生きる力と<我の世界>で生きる力との双方が少しずつ身に付きつつある子どもであるなら、「そんながらくたなんか捨ててしまいなさい」と、親や教師から言われたら、きっとニコッと笑って、そうだ、本当にがらくただね」と言ってひとまずは捨てるであろう。世の中できちんと生きていこうとするなら、親や教師の言うことは聞いておいた方がいいのであるから。しかし親や教師が向こうに行ってしまったら、「おっと」と言って拾い集める。「たかか石英であったっていいじゃないの。拾ってきたボタンだっていいじゃないの。私にはどうしてもきれいに見えるんだから」と。そうやって「今度は見つからないぞ」と大事にしまい直すのではないだろうか。

 自己を生きるという意識―“我の世界”と実存的自己意識より

 

この例のように、周囲の世界との折り合いは大切だけれども、まずは自分の世界を根本にすえて生きることが、発達障害の生きづらさを軽くする「自立」の条件です。

そしてこの2項の比較と自分の世界の重要性は、釈迦やキリストも語っていたらしいのです。

 

特に、発達障害は現代の世界ではマイノリティ(少数派)になります。

周囲の価値観に合わせてばかりいると、心身がいくつあっても足りないでしょう。

 

「私は多少コミュニケーションが下手でもこれでいい」

「こんなパーソナリティでいい」

「ミスしたっていい」

 

というような自己評価と、できるならばそれに加えて何か自分の生きる目的、打ちこめるものを持ちながら、

 

「これくらいは出来て当然」

「ここでは普通こうするのが常識」

「ミスはしないのが基本」

 

という周囲の世界に合わせた行動がとれるようになることが、理想と言えるでしょう。

 

そして実は「自立」にはその先があります。

 

最近流行りつつある「瞑想」「マインドフルネス」のようなものは、この自分の世界と周囲の世界を切り離す効果があると思っていますが、それが目指すものはさらにその先、「自分を全面的に世界に預ける」ことと理解しています。

これは自立が進んでくると自然にできてくる「何かに没頭すること」・「フロー」・「自己実現(無私)」と同じような意味だとも思っています。

 

これについてはまた改めて書きたいと思います。

 

自立のためのプログラムとは

では、もしまだ自立できていないとして、どうやって大人が自立すればいいのでしょうか。

 

私は「自立」こそが「生きづらさ」を軽くするだけでなく、「やりたいこと」「夢」の発見や、仕事力のアップにつながっていると確信してから、どうにか方法論を確立できないものかとずっと考えていました。

そして年間200冊以上の本を読んだり社外のいろいろな人と接する経験をしていくうち、まだ発展途上ではありますが一定のプロセスを考案しました。

 

それが「生き方3.0」のプロセス図の上半分~1/3になります。

 

まず自立できない大きな要因の1つとして、発達段階での無意識への影響があげられました。

無意識というのは自分では意識できないが自分の行動・思考パターンを形成する心の領域のことで、なかなか把握しづらいところです。

 

ですがここに関しては、別の記事でも書いたように非常に個人的なエピソードに影響を受けるため、一概に解決法がありません。

 

無意識への働きかけは、専門家のヘルプが必要なことが多いと思います。もしこれから説明する方法だけでは上手くいかない場合、うつなどの症状が出た際にカウンセラーへ相談することも視野にいれてください。

 

次に、成長の段階でただ単にそういった概念を獲得できなかった場合があげられます。

 

その場合、これまでの記事を読んでいただけていれば「自分の世界」と「周囲の世界」は区別する必要がある、ということを見たときに、ガラっと世界が変わって見えたり、頭の中がすっきりした感覚になると思います。

問題の多くはこの感覚があれば解消します。

 

以前にもご紹介しましたが、この作業を助ける本として、長谷部葉子さんの『「自分」をカタチにする授業』をおススメしておきます。

「自分」をカタチにする授業

「自分」をカタチにする授業

 

 

そしてそのフレームの理解と並行して、「他人の思考を想像する」という作業をすることも効果的です。

私たちはとかく自動的に湧きあがる感情をそのまま信じてしまいますが、それを「疑う習慣」をこの作業で身につけるのです。

 

もしかすると「認知行動療法」に近いものがあるかもしれません(私は認知行動療法の前振りしか知りませんのであくまでイメージです)が、これを行うことによってふとしたときに自分の感情を客観的に観察し、いろいろな角度でその感情が起こる前提となった事実を判断する「クセ」が身につくのです。

 

私は仕事でよく一度書いたメールを最後にもう一度他人視点から読んでみることにしています。

そうすることによって、伝わりづらい点はないか・相手の知らない背景を前提にして書いていないかがチェックできるのです。

 

これは私が外資系の会社で仕事ができて良かったと思っている点ですが、外国人とのコミュニケーションでは、かなり頻繁にこの「背景・前提のズレ」が起きるのです。

(私の英語力の問題もかなりありますが…)

ここで仕事をしていく中で、このことを具体的に意識できるようになりました。

 

おそらく同じことが日本人とのコミュニケーションでも起きていて、勝手に「相手と自分は同じ認識世界に住んでいる」ような感覚でなにもかも惰性で生きているため、

その解決のために「視点の切り替え」の訓練が必要になる、という主張です。

 

実際にこの訓練を社会人の読書会などで進めてみると、驚くほど他人に「面白い」という「感情」を伝えるのは難しい、ということが分かってきます。

 

なぜならそもそも興味のあることが違います。生きてきた経験が違います。それを前提に伝え方を考えないといけないわけですから、自然と「視点の切り替え」を頻繁に行うようになるのです。

 

こうした作業を繰り返していくうち、自分の世界と周囲の世界の切り分けに慣れてくるのです。

 

 

「自立」に関してはまだまだテーマがありますが、長くなりましたのでひとまずここで区切りをつけようと思います。

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