生き方を探している人へ~2002文字の手紙
生き方に悩み、つらく苦しいときこそ、志を立てられる時期
【こんなことが書いてあります】
・生き方は、不遇な時期にどんな志をたてられるかで全て決まる
・「易経」曰く、つらく不遇な毎日にしか湧いてこない気持ち、感情がある。それこそがわたしたちの生き方の真の羅針盤である
薄暗い部屋にひとり。
行くあてもなく、することもなく、ただスマホを握る。
天井を見上げ、深くためいきをついてみたり。
「死にたい。消えたい。生きる意味って、あるのかな?」
日曜の夕方。
なんだか落ち着かない。
「テッテケステテケ テンテン(パフ)♪」
笑点だ・・・思わずリモコンで「切」ボタンを押す。
月曜日が近づいてくると、胃が痛い。
仕事が、つらい。
こんなシーンに心当たりがあるか、共感できるとき、そのときは私たちに大きなチャンスがめぐってきている大切なタイミングです。
それは、なぜか。
なにをやってもうまくいかないとき。
失意のどんぞこにいるとき。
人に見向きもされないとき。
こんなときにこそ、くさらず、まじめに、コツコツと日々の苦しみに耐えて本を読み、気になるイベントへ出かけ、じっくり力をたくえわえると、後々大きな飛躍ができるようになるからです。
「易経」の真理の突きっぷりがハンパじゃない
わたしが信頼する古典のひとつに中国古典の「易経」があります。
「易経」は世界史の受験勉強でご存じのかたも多いと思いますが、古代中国の占いについての書物ということになっていますよね。
わたしは別に占いオタクなわけではなくて、「陰」と「陽」の二項対立の発想が世界の原理で、さらに易経は「世の中の変化をつかさどる原理を説いている書」だとしている考え方に全面的に賛成しているからです。
ここに興味を持たれた方はいろいろと検索すると面白い記事や本があると思いますが、ここでは詳細は置いておきます。
なぜ突然わたしが易経の話をしだしたかというと、その中に模範になる人生、生き方のプロセスを龍にたとえて書いた部分があり、まさに冒頭のような状況はそのスタート地点になる「潜龍」の時期にあたるからです。
潜龍用うるなかれ。
潜龍用うるなかれとは何の謂いぞや。子曰く、龍徳ありて隠れたる者なり。世に易えず、名を成さず、世を遁れて憂うることなく、是とせられずして憂うることなし。楽しめばこれを行い、憂うればこれを違る。確乎としてそれ抜くべからざるは、潜龍なり。
潜龍を用いてはならないとはどういう意味か。
潜龍とは、やがて雲を呼び、雨を降らす龍の志を秘めながら、時を待って潜んでいる者のことだ。だから今は世の中を変えられず、名を成すこともできず、世間から遠ざかっても、悩み憂うることはない。良いと認められず、否定されても、悶々とすることもない。意とすることは進んで行い、不本意ならば身を退ける。このように、しっかりとして抜きがたい志を打ち立てる者、それが潜龍である。
リーダーの易経「兆し」を察知する力をきたえる (角川SSC新書)
- 作者: 竹村亞希子
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/角川マガジンズ
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どうでしょうか。
この不遇の時期だからこそ。
周囲の世界のなににも影響されずに。
わたしたちひとりひとりだからこそ、のそれぞれの生き方を。
全身の感覚からからうまれてくる純粋な志を。
わたしたちが真に身につけることができることがある、と説いているんです。
なんとも、なるほど世界の原理を悟った人々でしか書けないことではないでしょうか?
だからたとえいま、最低の気持ちでこの文章を読んでいたとしても、この先の将来を考えていたずらに不安になる必要はまったくありません。
ただこのいま感じている気持ちを忘れずに、いいことはいい、いやなことはいやとして、日々を心の赴くままに過ごす。
またもしいま何も生きる目標や意味を感じていないとしても、周囲の世界を切り離して自立(よく分からない方、くわしくは「自立」カテゴリーの過去記事を読んでみてください)すれば、近い未来に必ずわたしたちの心を動かす何かに出会うはずです。
それにこの記事にたどりつくほどの問題意識を持っていらっしゃるなら、なおさらまったく問題ないです。
発達障害があってもなくても。自分の生き方、志、気持ちに素直に生きましょう。
たとえいま、ただ生活の糧を得るためだけの、つらくつまらない仕事をしていたとしても。
その残された時間をかきあつめて、目指す場所に向けて近づくために、または目指す場所を見つけるために、頭とからだを動かしつづけましょう。
そうすれば必ず、わたしたちは笑って死ねる。