大人の発達障害者の生き方コンサル事例~その1
聴くだけ。
お花見シーズンがピークで国内外の観光客でごったがえすJR上野駅。
今日も、生き方を相談したいとメッセージを頂いた大人の発達障害の方と小一時間、はちみつジンジャーミルクを飲みながらおはなしをしたのですが。
わたしはいつも、みなさんのおはなしを聴くことしかできません。
みなさんが期待するようなこたえは、なにもはなすことができません。
だって、答えはいつも、自分の心の中にしか存在しないから。
いまは、周囲の世界の雑音を大きく感じすぎていて、ただ気づけていないだけです。
・・・うーん。
自分でここまで書いていて「これは怪しい展開のブログだな・・・」と思わずたじろいでしまいましたが(笑)
これは本当に変な精神論のたぐいではなくて、たとえわたしが「こうしたらいいんじゃない?」と言ったところで、それもみなさんにとっては雑音のひとつになってしまうだけだということ。
わたしは法学部出身だし、ロジックが全ての外資系で日々仕事をしているので、根拠がないと判断したことはこのブログにも書きません。
ご相談をうけたときも、こたえは伝えられないのですが。
そのかわり、相談に来てくれるかたがわたしに悩みをはなすことで、自分の心の方向性と、周囲の世界が押しつけてくるわたしたちにとって意味のない価値観を切り離してとらえるためのお手伝いをします。
瞑想だって、座禅だって、
「雑念をふりはらいなさい」
って、言われますよね?
それと同じことを、会話のなかでしらずしらずのうちにやってもらう。
そして雑念が切り離された時間をできるだけ多く、長く積みかさねることで、自分の本来の意思を自然にとりもどしていくんですね。
以前書いた「発達障害は「自立」で生きづらさを軽くする」でも引用した、コミュニケーション学を専門にされている慶應義塾大学長谷部葉子准教授の著書のことばをふたたび引用しておきます。
不思議ですね。"わたし"が"わたし"でいるためには、わたしではない他の誰か――つまり、”あなた”という相手が必要だったのです。