コミュニティ通貨がたてなおすADHD/アスペルガーの生き方
コミュニティ通貨で暮らしをもっと人間的に
こんにちは、ひさしぶりの更新です。
この半年、自分の研究関連のことをここで書きたいのはやまやまだったのですが。
まだ今の立場で論文を出していない中でここで書くのもどうかな…という想いもありまして、ブログの下書きばかりが増えていく日々でした。
ということで、今日は最近もうひとつ意識的に勉強・実験している「コミュニティ」について書いていきたいと思います。
…と、ここで本文へ行く前にひとつお知らせです。
10月30日(金)に、「人の持つ可能性が広がる瞬間を伝えていくメディアプロジェクト」soarさんのイベントに呼んでいただけることになりました。
内容はゲストが影響を受けた本を紹介しながら、人生についてご来場の方と小さなグループを作ってお話しする、という面白い形です。その本も会場で古本として販売します。
わたしのほかにも7人のゲストがいらっしゃるので、女性に話を聞いてみたい、というニーズにも合うかと思います。
場所は東京・芝浦にあるキレイなシェアスペースにて。JR山手線田町駅から徒歩数分です。
記事執筆時点ではまだ残席あるようですが、soarさんのイベントは人気があるためもしご興味ある方はお早めにこちらからお申込みをお願いいたします!
では、続きをどうぞ…
いまなぜコミュニティをテーマにするのか
まずはとりあえず、辞書で「コミュニティ」の意味を調べてみました。
・特定の地域や国に住む人々
・同じ宗教や人種、仕事を持つ人の集団
まあなるほど、という感じです。
次にGoogleトレンドで「コミュニティ」という単語をチェック。
個人的には最近よく目にするなぁ、という印象だったんですが、下の表にもある通り最近再び盛り上がってきてはいますが、2005年前後のほうが検索されていたように見えていますね。
そういえば、私が以前アップデートした「大人の生き方3.0」の概念図にも、「コミュニティ」というワードを書いています。
このときは、自分と「自律したヒト」とのつながりをコミュニティの中で確保することで、自律のための経験や知識、神経発達を得るというニュアンスで書きました。
そんな中、なぜあらためてコミュニティなのか。
わたしの原体験の中で、「自律」(最近、「自立」ではなく「自律」のほうが他者との関係が見えてくるからいいよね、とまわりの皆で話しています)の次にインパクトがあったのが、障害者雇用と一般就労どちらを取るかという葛藤でした。
経済的には一般就労でなければ厳しいけれど、配慮を受けなければ働いていけそうにない。
家族を抱えながら、そして体調も万全ではない中で、わたしはこの答えが出しようのない選択に押しつぶされそうになっていたことがあります。
幸いこのときは本当に運よく前職のポジションが見つかったので何とかなったのですが、この体験はいまでも自分への大きな問いとして、いろいろな活動のエネルギー源になっています。
そして、最近になってTwitter経由であるニュースが入ってきました。
新しい事業や働き方を社会へひろめる、という点で、発達障害のある人がいろいろな働き方ができるようにするというわたしの活動とも重なるため、「N-worker」の活動などをご一緒している黒田さん。
その黒田さんが昨年から始めた「議論メシ」というオンラインサロンが、「fever」というプラットフォームを使ってコミュニティ通貨を導入したというのです。
コミュニティ通貨の細かい仕組みを書いていると長くなってしまうので割愛しますが、語弊をおそれずひとことで言うとコミュニティの中でだけ流通するお金を発行しはじめた、ということです。
わたしも先ほど書いた「問い」がここ5~6年くらい頭にあったので、コミュニティ経済の中で生計の一部をたてる、という構想をずっとイメージしていたこともあり。
オンラインサロンにはもともとそこまで強い興味がなかったのですが、このニュースに触れてとんでもなくワクワクしてしまい、さっそく入らせてもらった、というワケなのです。
感謝のサイクル、Giveのサイクルがまわる世界で生きる
では、コミュニティ通貨が流通するコミュニティの中の雰囲気はどんなものなのでしょうか。
一応中のことは対外的に開示しないことになっているので、一部オープンになっているTweetからその状況を見てみましょう。
8月から議論メシにfeverというコミュニティ通貨の仕組みを導入したところ、個人間送金がすでに225回も行われていて、すごいなあと。あと、通貨と一緒に「ありがとう」という言葉も171回贈られている。いいね。
— 黒田悠介 / フリーランス研究家 (@chlorine0528) 2018年9月11日
わたしも入ってみて感じたのですが、感謝やGive(与えること)がコミュニティ通貨を通して価値になり可視化されているので、とても目立つんですよね。
200名弱のコミュニティで、AさんがBさんに何かをしてあげて感謝されている、ということは、いままでのオンラインのコミュニティではあまり目立たなかったと思うんです。
さらっと読み流しちゃう。
ところがfeverには「アクティビティ」という機能があって、コミュニティの中の人のすべての通貨のやりとりを見ることができます。
これを見ると、
「昨日は楽しいイベントを企画してくれてありがとう!」
とか、
「あのとき話してくれた内容が仕事の役に立った!」
みたいなコメントと一緒に通貨が渡されているのが分かるんです。さらにどれも、これまでは「お金」にはなりづらかったようなことばかりです。
面白いもので、こうしたやりとりを見ていると本当に気分が良くなるというか。
それぞれ得意なことを活かして、ホントに「お互いさま」で生きていくのが楽しくなります。
そしてこの光景を見て興奮している中、黒田さんと話しているうちに「コメをコミュニティ通貨で提供してみよう」ということになり。
わたしの本を読んでくれたことがきっかけでつながっていた農家の方のお米を、わたしがコミュニティの中で提供することになりました。
わたしからの提供は、まずはメンバー限定。
支払いはもちろんコミュニティ通貨でもらいます。利益は取りません。
これまで2週間ちょっとで50キロが売れています。
こんな世界が広がっていくと何が起きるかというと。
たとえ就職した先の会社の給料が多少低かったとしても、自分が興味のあるコミュニティ(地域、趣味…)に属していて、その中で自分の中で比較的得意なことを活かして自分なりに貢献していけさえすれば、生活するのに十分な衣食住をまかなうことができるようになるんです。
もちろん、まだまだいろいろな実験をして、方法論を整えていく必要はあると思います。
でもこのコミュニティ通貨(=いままでお金にならなかった価値、人のためになることを形で表していくこと)を使った生き方の可能性について、引き続き追いかけてみる価値十分な手ごたえでした。
いまある制度のうえに、新しい希望をたくさん重ねて添えていくこと
わたしは「会社がなくなる」という価値観を引用して、わたしの本の中でご紹介しました。
実際には、会社ではたらくという形はずっと残り続けるかもしれません。
ただこの流れでいくと、会社でだけはたらいて生きていくということは、はやばやと「当たりまえ」では無くなると思います。
会社でだけ生きていくことも否定しない。
独立して生きていくことも否定しない。
コミュニティの中でいろいろやりながら生きていくことも否定しない。
学校へ行かないことも否定しない。
(いまは)なにもしないことも否定しない。
それぞれがそれぞれの現状に合ったかたちで生きていけるようになるためには、これまでの社会のように大きなひとつの一本道ではなくて、きっといろいろな価値が網の目のようにつながって、重なり合うような形の社会になることが必要です。
そんないろいろな価値が認められる社会の中であれば、いままではお金にならなかったことがたとえばコミュニティ通貨へ交換され、衣食住へ変えていける。
いまの社会でフリーで仕事を見つけられるくらい実力のある人であれば、話は簡単なのですが。
たとえば企業で働くまでは体調が回復していなかったり、自律が難しいような人もコミュニティの中でイキイキと生きていくためには、ちょっとした仕掛けが必要そうです。
福祉の考え方も、もしかするとまったく変えていく必要が出るかもしれません。
それでもいまは、新しい価値観をどんどん試していく時代。
テクノロジーが進んだおかげで、個人のレベルでもいろいろなアクションが取れます。
「成功は銀メダル、失敗は金メダル」(引用元失念…)
わたしたちが生きやすい社会は、わたしたちでつくっていく。
いまそれなりに住みやすい社会になっているのも、きっと過去の先人がたくさん試して、その中からいいものが残ってきているはずです。
仕事を休んだり、投薬を受けたり、このブログを読んだり。
まわりの人の助けを受けて、もういちど立ち上がる力が出てきたときには。
これからこの社会を生きる人のために、たとえちいさくても有意義な何かをする、という選択肢もおもしろいのではと思っています。
***<「大人の生き方3.0」全78+未整理記事の目次はこちら>***
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